自然の力を人々の生活に役立てたい!
その想いで創業から50年、
私たちの歩んできた道があります。
おかげさまで、LEMは健康ドリンク剤として、発売以来多くのお客様にご愛飲いただき、当社は新元号、令和元年に50周年を迎えることができました。
これもひとえに、ご愛飲者様、お取引先の皆様、研究にご協力いただいた先生をはじめ、多くの方々に支えていただいた賜物です。千代吉かたあとを引き継いだ2代目社長として、この50年間でお世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。
創業者、千代吉が残したものづくりへの情熱、けっして妥協を許さない技術開発に対する向上心、なによりも、まだ世の中にないものを創造し、人々の役に立ちたいという社会貢献の精神は、私たちの中に脈々と生き続けています。
LEMから幅広く、多くのお客様の役に立つ健康ドリンク、その製造過程から生まれた、世界に類を見ない自然物由来の農薬、さらにはMAK、LEFといった、新しい物質を生み出すことができたのも、医薬品レベルの研究開発を、品質第一主義で地道に継続してきたからにほかなりません。
シイタケ、霊芝といったキノコ類を培養する、当社の独自技術の可能性は、今後バイオテクノロジーの進展にともない、ますます広がってくるでしょう。次の50年に向けて、さらの当社は、この技術を磨き、人々のお役に立つ商品をお届けしてまいります。
どうぞこれからも変わらぬご愛顧を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
創業期
創業者の飯塚千代吉
新分野に踏み出す
ものづくりに自らの一生を捧げた
創業者・飯塚千代吉。
常に新しいものを発見し、どこまでも追求し続ける情熱が当社発展の礎となった。
小型冷凍機の製造を始める
1945(昭和20) 年10月、野田食菌工業の創業者である故・飯塚千代吉(以下、「千代吉」とする)は、個人経営の飯塚電機冷凍機製作所を東京都台東区龍泉寺町で起業し、小型冷凍機並びに冷凍装置の設計製作を開始した。この事業は、商工省機械局長の指示にもとづく米国第8軍向け、アイスクリームフリーザーを受注し、業界にお ける小型冷凍機械生産の先達となった。1948(昭和23)年6月、千代吉は、株式会社飯塚製作所を創設して小型冷凍機の製造を開始した。
キノコ栽培設備の製造に進出
昭和40年代になると、長野県の代理店が冷凍機を使用してエノキダケの周年栽培をしているとの情報を得て、千代吉は長野県に出向き、夏は冷凍機で室温を下げ、冬 には暖房器具で室温を上げるなどの工夫を したエノキダケの周年栽培を目の当たりに する。
1969(昭和44)年8月、千葉県野田市に野田食菌工業株式会社を設立、キノコの周年栽培の設備を開発し、その販売を目的とした事業をスタートさせた。
偶然がもたらしたLEMの発見
停電事故が思わぬ発見につながる
1970(昭和45)年8月の盆休み、千代吉 が2~3日研究室を空けている間に停電が起こり、ガラス瓶の大型フラスコでシイタ ケの菌糸をエアーレーション培養していた部屋の空調が長時間停止状態になるという事故があった。
電力供給が復旧しても空調機は再起動されないまま放置され、密閉状態になった培養室は、数日間高温にさらされる状態が続いた。
帰宅して研究室を覗いた千代吉は、ガラ ス瓶にあったはずのシイタケの菌糸が消え ていることに気がついた。麓顧問に尋ねると、「シイタケの菌糸が自己の持つ酵素で細胞壁を溶かしてしまう“自己消化”という現象ではないだろうか」との回答だった。
LEMの誕生
千代吉はこのことから、固体培地でシイタケ菌を培養し、さらに放置すると樹皮形成された完熟培地から“自己消化”なる現象がつくり出され、シイタケの独自成分を得ることができるのではないかと考えた。 オガクズと米糠の固体培地にシイタケの液体菌を接種し、3~4か月培養すると、 シイタケの菌糸で個体培地全体が白くなって樹皮形成が進み、子実体発生の準備に入 る。この時期が、最も菌糸体の活性が盛ん な時期である。
また、培養室の温度を下げ、再び室温を上げることで温度変化(低温ショック)を与えると、子実体の発生のための、新たな酵素類の代謝が活発になる。
培養培地の活性が最も高まったときに“自己消化”現象を派生させ、シイタケの有用成分を抽出することに千代吉は成功した。LEMの誕生である。